現実を生きていない人

現実を知らない?

本当にいつもいつも同じことを繰り返しているんですけども、この現実の不条理には耐えられません。いつかは死ぬ、生きている以上は病気にもなるだろうし、歳もとるわけです。自然災害とかいつ起こるかもわからない。こんな中で生きて行かなければならないわけで、もう恐ろしいものです。生きている私というのも自己矛盾に満ちていて何だかよく分かんない。あらゆることが分かんない。まあ、分からない分からないと言っていても何にもならないんですけども。

他の人は、なぜなんでしょうね。非難になりそうだけども、現実知らないんじゃないかな、とか思わないでもないです。なんか現実を価値観の意味で捉えている人もいますもんね。「これが現実よ、受け入れなさい」の現実を価値観に言い換えればそのまま意味が通じると思います。現実というのはただそこにあるのであって、個人が受け入れる受け入れないの選択はできないでしょうに。

何か現実がふわふわとしているように見えるんですよね。生きてないんじゃないか、とか言ったら失礼かもしれないけども、そう思ってしまうところがあります。虚構に生きているのかもしれません。虚構というのは、ゲームとかスマホの画面の中のようなバーチャルはもちろんですけども、バーチャルは虚構の一部でしかないわけで。前も記事にしましたけども、会社、終身雇用には死がないわけですよ。これなんかいい虚構ですよね。

現実を生きている人はどこかで宗教的にならざるを得ないと思うんです。あるいは自己表現に徹するようになると思うんです、芸術のような(私はどちらかと言えばこっち、何もできないんですが…)。そうしないと現実の不条理と向きあうことなんかできません。科学を否定しようなんてそんなことは思ってませんよ、人間が抱える問題を少しでも解決しようというその態度は素晴らしいじゃないですか。そういう態度の根本は芸術と繋がっていると思うんですけども。ただ、科学だけですべての問題を解決できるかというと、それは無理だと思うんです。

宗教や芸術といったものは現実を前提として現実に対して積極的だけど、科学は傾向としてはどんどん現実から離れて虚構に向かっているように思います。最近では落合陽一さんのデジタルネイチャーという発想も出てきていますけども、多分ですけども、そもそも現代人(特に若者、現実を価値観と間違えてたりとか)は現実と虚構の区別がついていなくて、そういう状況においてデジタルネイチャーというのはなかなか難しいところがあると思います。虚構という前提があれば分からなくもないけども、そうでなければ現実の虚構化でしかないのでは。ダイバーシティと言うけども、大部分の人間にとっては画一化の方向に進みそうな気がします。

やっぱりこういう時代だからこそ、宗教とか芸術とかそういうものの蓄積を増やしていかないといけないと思います。もちろん科学が重要であることは言うまでもありませんけども。しかし間違っても虚構の中では生きたくないですね。現実の中で生きて格闘していきたいです。