文章が書けなくて困った時のポイント

これからどうしていくか

書いてお金を稼ごうと思った理由と書くのが嫌いな理由

書いて稼いでいるのに書けません。お金になりません。しかしそれでも書かなければなりません。どうすればいいのか…。というわけで、どうすれば書けるようになれるのかを懸命に考えてみました。

文章の形式と書き方を学ぶ

これは初歩的なものですけども、文章の形式とそれに適した書き方を学ぶことです。文章にはその性質に適した書き方というのがあります。例えば、新聞が雑誌にあるようなコラム調で「昨日は東京でこんな事故がありました♪」とか書いてあったら(極端ですけど)、舐めてんのかってなってしまいます。

こんな感じである程度の決まりがあるわけです。しかし逆に言えば、その決まりに伝えたいことを代入してやればいいわけですから、決まり(形式)をしっかりと覚えておけば、考えなければならないことは少なくなります。

知識を蓄える

書き方という技術をしっかりと持っていても、書くことがないのであれば書くことはできません。つまり、書こうと思っていることの対象について十分に知っていなければ文章にすることはできないということです。

言葉と言葉の定義と言葉の概念の3つを分けて考えなければ、そしてこの3つが伴っていなければ、なかなか書くことはできません。言葉の理解を辞書に載っているような説明を理解することと考えていると記号的な思考に陥ってしまいます。もちろん記号的に考えることが大切である場合もありますが、一般的な文章を書く上では好ましくありません。

できることは勉強や取材といったところでしょうか。

散歩する

上記の形式と中身が伴っていても場合によっては書けないことがあります。この場合は頭が凝り固まってしまっていますから、無理に書こうとしても失敗します。気分転換をするのが一番です。

そこで役立つのが散歩です。特に何も考えずに歩く。それだけで頭がすっきりとします。「書く」という場合には頭の体操みたいなのをやりたくなるのですが、脳は脳単体で機能しているのではなくて、体全体の刺激を受けて成り立っています。だから脳を動かすのではなく、体を動かさなければなりません。楽に体を動かせるのはやっぱり散歩でしょう。

「作者は死んだ」

書けない理由として、個人的には自分の書きたくないものを書かなければならないことが挙げられると思うんですが、その際に「作者は死んだ」という発想をすることで書けるようになるかもしれません。

「作者は死んだ」というのは某哲学者の言葉です。これを知ったのは私が大学生の時で、全然関係のない講義で講師がサラッと言ったのを今思い出しただけですから、解釈が間違っているかもしれませんけども。

文章には書いた人(作者)がいるわけですが、ではその文章というのは作者の独自の考えなのかというと必ずしもそうとは言えないはずです。色々な情報が既に溢れていて、それらの情報を引用するような形で紡ぎ合わせて出てきたのが文章であるわけです。つまり文章は世の中や社会からの影響を受けているわけです。

作者というのはラジオのようなものです。空間に色々な電波があって、それをラジオが特定の周波数に合わせて、人間が理解できる形で音を出しています。これはラジオが音を作っているわけではありません。既にある電波を理解できる音に変換しているだけです。作者も同じで社会の情報を引用してきて、人間が理解できる文章に変換しているに過ぎないわけです。

つまり、私が書いているわけではない、ということですね。いかに私が「こんなの書いてもなぁ」と思っていても、実はそれを書いているのは私ではない。確かに文字にしたかもしれないが、考えているのは私ではないのである、ということです。

自由意志ってあるんかなぁ…

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