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正しい価値観と間違った価値観

価値観に対する価値観?

若者向けのネット記事を読んでいて面白い表現がありました。「自分の価値観は間違ってなかったんだ!」というものです。

正しいとか間違っているとか、いいとか悪いとか、そういった判断をするのが価値観なのではないでしょうか。つまり価値観そのものに正しいもクソもないのです。だからこそ価値観は対立するのでしょう。

「自分の価値観は間違ってなかったんだ!」というのは価値観への価値観ということなのでしょうか?よく分かりませんが変な印象を受けます。

承認欲求とかも関係があるのでしょう。自分の価値観に不安になる(?)程度に自分に自信がないのだろうと思うのですが、だからこそ(でも同時に)自信のない自分を他人から承認してほしいという欲求が生まれます。

ではどうすればそういう自分を他人に承認されるのかと言えば、自分に自信がないのですから外部に頼るしかないわけで、結局のところ、世間から注目されている(と思われる)お店のパフェを食べている「私」とか、友達とみんなで楽しそうにしている「私」とか、そういうものになります。そしてそれをインスタとかのSNSに出して、いいねをもらって承認してもらう(インスタ映えみたいな)。

他にも客観的に分かりやすいものさしに頼るとかですね。みんが良いと言っているから良い、値段が高いから素晴らしい、偏差値が高いからいい大学だ、上場していて知名度が高いからいい会社だ、テレビで言ってたからいいものだ、有名人が言ってたからすごいのだ、そしてそれに関係している「私」には価値がある、というように。

自己というか主観というか、このへんがどうもおかしいようで、教育の影響もかなりあるのでしょうけども、あとはネットとかも関係ありそうです。自己肯定感とか自分なりの価値観というのは反抗期とか中二病とかいったものを通して形成していくものなのですが、この世代には価値観が多様化していて、どんな価値観もある程度は認められてしまうために反発ができないんです。

ちょっと前までは全員に共通する1つの価値観があって、それに耐えられずに「こんなのやってられるかボケ!」とか言って、尾崎豊みたいに学校であれこれするのですが、現代では「学校でやらなければ怒られないのに。バカだなぁ」となって反発がないわけです。まあ反発のやり方も度が過ぎれば問題ですけども。

でも価値観が多様化しているからといって個人も多様性があるかといったらそうでもなく、先ほどの例みたいに客観的に明確なものさしに頼ったりするために画一的になってしまいます。

そしてみんな同じであるからこそ、「私って何なんだろう?」というアイデンティティに困ることになります。アイデンティティは自己同一性であり、同じであることにポイントがあるのですが、彼らの場合は違いを意識します。だからいつまで経ってもアイデンティティが確立できません。