全ての人は幸福になれない?幸不幸は幻想だった!

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多くの人は幸せになりたいと考えているはずです。しかし実は幸せになることはできません。それは一体どういう意味なのでしょうか?

「幸福である」と「幸福になる」

「幸福である」ことは可能ですが、「幸福になる」というのは不可能です。不可能というよりも、正確には日本語が間違っている、ということです。

日本語のちょっとした間違いくらいどうでもよさそうなものなのですが、しかし日本語が間違っているということは考え方が間違っているということにもつながるので、この点について指摘することは無駄ではないだろうと思います。

多くの人が使う「幸福になる」(幸せになりたい)というのは、不幸をなくして幸福を増やし、最終的には幸福だけの状態にしたい、というようなことを意味しています。このような意味で「幸福になる」というのは不可能です。

実際には、私たちが行える幸福への態度というのは、「幸福である」と気づくことしかできません。ではこれはどういう意味なのでしょうか。より具体的に考えてみましょう。

(幸福についてですが、定義は問題ではありません。幸不幸でなくても、良い悪い、好き嫌いなどに置き換えても大丈夫です)

物事の二面性

物事には二面性があります。これに関してはダイエットが非常にわかりやすいので、ダイエットを例に考えてみます。

食べると太ります。食べなければ痩せます。

食べると食欲を満たせすことができるので良いことがあると言えますが、反対に太ってしまうので悪いことであるとも言うことができます。

食べなければ痩せるので良いことがあると言えますが、反対に食欲を満たすことができないので悪いことだとも言えます。

このように、良いことには悪いことも付き物であり、悪いことには良いことも付き物です。しかし多くの人は悪い点ばかりを注目しがちで良い点を見ようとはしません。

確かにダイエット中に食べてしまうと「食べてしまった」という罪悪感を感じることになるでしょう。しかし同時に食べたことで食欲を満たすという良い点も得ているのです。この点に気づかなければなりません。

これはコインの表裏のようなものです。表だけのコインというのは存在しません。もし仮にコインを真っ二つに割いたとしても、新たな表裏が発生することでしょう。

幸不幸は解釈に過ぎない

幸不幸(好き嫌い、良い悪い、なども同じです)は現象に対するある立場からの解釈に過ぎません。これはコップ半分に入った水の例が分かりやすいです。

コップのちょうど半分のところまで水(ジュースでもいいです)が入っているとします。多くの場合、人はこのコップを見て、「半分も入っている」または「半分しか入っていない」と感じるようです。

しかし実際には、コップに水が半分入っている、という現象に過ぎず、これ自体は良いことでも悪いことでもありません。単なる現象です。にも関わらず、多くの人はこの現象に対して「も」「しか」と解釈を行います。

先ほどのダイエットの例でも同じです。ダイエットで問題となるのは「食べる」という行為です。「食べる」というのは、口に食べ物を入れて噛んで飲み込む、という一連の現象に過ぎません。「食べる」こと自体は良いことでも悪いことでもありません。

しかし、ダイエット中という痩せたいという立場を持っている人にとって「食べる」ことは悪いことだと解釈することができます。もしこれがお相撲さんのように太りたい人なら「食べる」ことは良いことになるでしょう。

このように、立場によって現象の意味が異なってきます。幸不幸というのも、ある立場からのある現象に対する解釈に過ぎません。

ここまで読んでいただければ最初に書いた、「幸福になる」は不可能、の意味がわかっていただけるのではないでしょうか。

そもそも幸福というのは存在しないのであり、幸福を感じるためには前提として立場が必要です。しかし立場を持つと、幸福が発生すると同時に不幸も発生します。その意味で、「幸福になる」つまり幸福だけの状態にするのは不可能です。幸福と不幸は常にワンセットだということです。だから「幸福である」と気づくことしかできません。増やすことはできないのです。

現状が気に食わない場合は?

それでは現状が気に食わない場合はどうすればよいのでしょうか。例えば、ここでは仕事が分かりやすいでしょう。会社に雇用されていて安定しているとします。しかし残業なども多く自由がありません。

つまり、「会社に雇用されている」という現象に対し、安定という良いことがあると同時に自由がないという悪いことがあるということです。

もし自由が欲しいのであれば会社を辞めて独立する方法というのが考えられるでしょう(あくまでも選択肢の1つであり、他にも方法はあるかもしれません)。この場合、自由は得られますが安定は得られません。

何が言いたいのかというと、幸不幸は変更することができるということです。今ある幸不幸を捨て、新たな幸不幸を得る、ということです。くどいですが、幸福だけの状態はありません。何か新しい幸福が欲しいのであれば同時に新たな不幸を得ることになります。

不幸を感じたくない場合は?

それでは不幸を感じたくない場合はどうすればよいのでしょうか。実は不幸ではない状態を作ることができます。それは立場を持たないことです。不幸というのは解釈に過ぎません。また解釈は立場を前提することで発生します。つまり立場を持たなければ不幸はありません。しかし逆に言えば、それは幸福でもありません。

これは恋愛が分かりやすいでしょう。恋愛という立場に立つならば、男女が2人一緒にいることは幸福です。しかし離れ離れになると不幸になります。

もし何も立場を持っていないならば、男女が2人一緒にいるというのは、単に男女の距離が近いという現象に過ぎず、2人が離れ離れになっても2人が離れたという現象に過ぎません。

悲しむこともなければ喜ぶこともありません。そういう人生を望むのならば、そういう人生もいいのではないでしょうか。

不幸を避けることは幸福を避けること

現代社会はとにかく不幸を避けて隠そうとしているようなところがあるように感じられます。しかしここまで書いてきたように、逆説的ではありますが、不幸を避けることは幸福を避けることにつながるのではないでしょうか。

もちろん不幸は誰にとってもイヤなものです。出来ることならば苦悩は感じたくはないでしょう。しかしその不幸や苦悩と徹底的に対峙することで見えてくるものもあるのではないでしょうか。

自我の崩壊と再構築、豊かな人生のために