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反発とアイデンティティ

子どもにスマホを持たせるのは何歳からがいいのか - nancolu昨日、反発についてちょっと書いたんですが、これについてもう少し書いておきたいと思います。

アイデンティティは反発から生まれる

例としてはいろいろと挙げられるのですが、宗教がかなりわかりやすいと思います。たとえば、キリスト教のプロテスタントはカトリックの贖宥状などに対して「それって違うんじゃないの?」というところから始まりました。プロテスタントに似たものとしてよく親鸞が挙げられます。親鸞は延暦寺で修行をしても納得することができず、法然のもとで念仏することで救われることができました。これも延暦寺への反発です(鎌倉仏教はだいたい延暦寺への反発みたいなものですね)。

日本では宗教が嫌われるので、文化の例も挙げておきましょう。守破離という言葉は有名ですが、これも反発です。お師匠さんから型を教えてもらいます。この型を継承するというのが「守」ですね。そのあとずっと型を守っていくと、「師匠はああいうけど、俺はこうした方がいいと思うんだよな」という反発が起きます。これが「破」です。そして、最後に、師匠の型から自立して自分なりの手法を身に付ける、これが「離」です。よく「型破り」と言いますが、同じことですね。型を理解した人間がそれを破るから型破りです。型を知らない人間のそれはただの我流であり、中身がありません。

ここからわかるのは、何らかの既存の価値観があり、それに対する反発を通して、最終的に自分のアイデンティティに到達する、ということです。大切なことなので2回言いますが、反発を通してアイデンティティに到達します。いきなりアイデンティティが生まれるのではありません。

反発がないとどうなるか

反発を経験せずに大人になると、良くも悪くも中途半端になります。良いというのは、何かを指示された時はそれに対してあまり反抗することがないので、上からしてみれば非常に使いやすいです。悪いというのは、端的に言えば、自分の意見がありません。主体性がなく、受動的になる傾向があります。会社で言えば、指示待ち人間みたいなところでしょうか。言ったらそれなりにやってくれるんだけど、自分から動くことはない、そんな感じです。

こういう人は権威が好きです。たとえば、何か問題が起こると「訴えるぞ!」とか「警察を呼ぶぞ!」というようなことを言い出します。あるいは「○○(有名人など)が言っていた」と他人の名前を借りて主張することが多いです。なぜこのようになるかというと、簡単な話で、自分で価値判断ができないからです。また、価値判断ができないために、やりたいことがない、というようなことにもなります。あるいは自分探しというような形をとるかもしれません。

大人になってからの反発

大人になってから反発を経験すると、厄介なことになることがあります。

具体的な例では、前の記事でも書きましたが、ちょい悪オヤジのようなことになります。最近の例ではミニマリストもそうでしょう。モノを持つ生活が良いという価値観に対する反発です。また、ミニマリストに関しては仏教(ある種の権威)の修行を持ち出して理論武装しているようなところもありますから、なかなか興味深いところです。あと、あまり表面化していませんが、個人的に気になっているのが着物です。変化の早い社会に対する反発、そして文化という権威ですね。

それから、あまり詳しくは書きませんが新興宗教(定義が非常に難しいですが)もですね。反社会的と思われるような教義が入っていることがありますが、社会という既存の価値観への反発という意味で、アイデンティティとして機能しうると思います。

反発すべきときに反発するのが大事

反発が起こるのは、だいたい中二くらいの年齢です。なので、前回も書いたように、俗に中二病と呼ばれることが多いです。中二くらいが反発するには一番いい時期で、反発すべきときに反発しておくのがいいです。その方が成長しやすいはずです。

ヤンキーみたいな奴の方が結婚するのは早く、またそれはヤンキーがバカだからなんて言われたりもしますが、バカなのではなくて成長に成功しただけです。ヤンキーはなんだかんだで苦悩して、葛藤して、自分の頭で考えようとしているわけです(ヤンキーをバカにする自称エリートよりもよっぽど頭使ってますよ)。もちろん、ずっと反発しているだけではダメで、守破離で言えば、破から離に移行しないといけません。破の先に離という自分があるわけですからね。

ただ、当然ながら、破のときに失敗することもあります。だからこその親です。子どもが変なことをして取り返しのつかないことになるのを防ぐために、親は子供の自由を制限すると同時に子どもの責任を負います。子供は十分に考えることができません。なので、赤ちゃんが小銭を口に入れてしまうように、自分にとって不利益となることを平気でやってしまいます。それを避けるためには子どもの自由を制限する他ありません。

もちろん、反発は1回で終わるわけではありません。中二で反発して、社会人になってからまた反発して、ということもあるでしょう。よく言われることですが、既存の価値観→反発→新しい価値観→既存の価値観→…というように、テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼというような弁証法、螺旋階段的に成長していきます。なので常に反発は起こるものです。ただ、中二で反発するのと、大人になってから反発するのとでは話が違います。中二なら失敗しても親がいますが、大人なら失敗は許されません。これはおそろしいことです。

もしかすると手遅れかもしれません。お金がないとか食べるものがないとかであれば生活保護で何とかなりますが、反発は体験です。与えることなんかできません。「反発してください」と言われて反発できる人はそういないでしょう。反発して失敗しても誰も責任は取れません。結局のところ、自己責任と言われてしまいそうです。

反発できない原因

それで、これも前回書きましたが、反発できない原因は、主に教育とメディアです。教育水準が上がって若者が出現しましたが、無関係ではないと思います。相対評価は良くないといって絶対評価になったのに、その教育を受けた当人は相対評価を好んでいるのはなかなか皮肉が効いていますね。メディアに関しても相対的に判断する傾向があって、ネットにつなげばいろいろな価値観に触れることができますから、「今のままでいいんだ」ってなって反発に至りません。

教育に関しては変えようと思えば変えられますし、学校が変わらなくても親が何とかできる部分が多いんですが、メディアに関しては、たぶん行きつくところまで行くでしょう。なのでメディアとの付き合い方は本当にしっかりと考える必要があると思います。