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現実と虚構、リアルとバーチャルの距離感が変



野生動物の自然死を、老衰で安らかに天寿を全うすると思っている人の何と多いことか - Togetter

「老衰で安らかに天寿を全うすると思っている人の何と多いことか」ということなんですが、現実と虚構あるいはリアルとバーチャルの距離感がおかしくなっている1つの例なのかなと思います。

日本は世界的に見てもかなり恵まれた国であり(いろいろ反論はあるでしょうけども)、それなりの生活ができます。スーパーにはお肉などの食べ物が並べてあり、お金を出すだけで手に入ります。服も安くで手に入りますし、住むところも選ばなければ比較的簡単に見つけられますし、電気ガス水道などのインフラも整っています。けがをして病院に行けば治ります。骨折くらいで死ぬことはないでしょう。こういう言い方をすると怒られてしまいそうですが、そんなに苦労しなくても生きてはいけます。

しかし、こういったことは当たり前のように感じるかもしれませんが、日本を出ると、餓死している人がいて、地雷や空爆で外を出歩くだけでも危険なところがあって、地震は起こるし台風も来るし、何かと不条理なことが起こっているものです。

こういった不条理を目の当たりにすることで、人間は自分の有限性を自覚するとともに、なぜこういうことが起こるのだろうと考えてきました。その1つの結果が宗教でしょう。自分が有限で、不条理に対して何もできないことを自覚するからこそ、無限へのあこがれが生じるのであり、それが祈りなどの形で表現されます。宗教も虚構・バーチャルでしょうけども、これがあることで現実との関係性を構築することができていました。

しかし、現代ではどうも現実と虚構の関係が分断されているようです。本来は現実の中に虚構があります。それに対し現代では、現実と虚構がそれぞれ独立した形で並列的に存在しています。現実の中に虚構があると認識した場合、現実で辛いことがあったら、虚構に触れることで元気を取り戻し、また現実で頑張ろうと思えます。しかし、現実と虚構が独立して存在していると認識した場合、現実で辛いことが起きたら、虚構に引きこもります。虚構で元気をもらっても、それを現実に生かすことができません。

昔は生まれた瞬間から現実が目の前にあったので、現実と自己との関係を考えざるを得ませんでした。しかし、現代では直接的に現実に触れるのが難しくなっており、虚構から始まることも珍しくないため、そもそも現実の認識が行えず、同時に現実と自己との関係も曖昧になります(これを作品として表現するとセカイ系になる)。さらに現実がふわふわとしたものになっているため、価値観として置き換えられます。アニメやマンガでは「これが現実よ、受け入れなさい」みたいな発言がよくありますが、「現実」を「価値観」に置き換えればそのまま意味が通ります。しかし、現実は受け入れる受け入れないといった選択のできるものではなく、ただそこにあるものです。

では人間はその現実を直視することができるのか。無理でしょう。自分が豊かな生活をしている一方で、わけのわからない殺人や戦争、どうすることもできない自然災害が起きている。現実を直視するのは人間には辛すぎます。だからこそ虚構で癒されるわけです。虚構は決して悪いものではありません。ですが、それは現実との関係においてある場合です。現代の虚構は現実との関係がなく、独立して存在しています。ここに問題が存在しています。

動物と全然関係のない話になりましたが、現実と虚構の関係を考えるうえでは、いい例なのではないかなぁと感じました。