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伝統が生まれるきっかけは意外と些細なこと?



大学について書いたついでにもう一つ。(大学入学時にショックだったこと - nancolu

部活の伝統

大学では部活に入っていたのですが、そこは80年近くの歴史がある、割とすごい部活でした。戦前から続いてる部活ってあまりないですよね、そこらへんの大学より歴史があります。

そんな部活にいたんですが、変な伝統があって、文化祭が終わったその日の夜に某有名な神社に行く、というものです。名前は出しませんけども、めちゃくちゃ有名な神社ですし、なんか厳かな感じがあるじゃないですか。しかも先輩たちも、いつからの伝統なのか知らないけど長いこと続いているみたいで毎年やっている、とか言うものだから、余計に「神聖な」と言ったら変かもしれないけども、そういう雰囲気があったわけです。

それで、今は部活と接点はないですが、その伝統は今でも続いているそうです。

伝統のきっかけになった人と会った

それでたまたまだったんですが、伝統のきっかけになったと思われる人と直接お話をしました。

OBOG交流会で隣に座っていたオッサン(20年くらい前の卒業生らしい)と話してたら、「文化祭終わった後に、開放感がすごくて神社行ったんだよね~」とか言い出して、詳しく聞いてみると、このオッサンの代には神社に行く伝統はなかったそうです。また翌年以降も仲の良い後輩を連れて神社に行っていたそう。

断定はできないけども、これがきっかけになったんだろうと。だから、最初はノリで行った神社が、去年行ったから今年も行こう、今までやってきたから今年もやらないと、歴史があるから後世に伝えていかないといけない、というように厳かになっていったようです。

大事なものは大事

オッサン(オッサンって失礼だけど)は、別に歴史があるからといってこれからも続けていかないといけないわけじゃないし、不要なら自分たちで勝手に潰せばいい、と言っていました。そもそも、きっかけが些細なことですし、特に意味があったわけでもないですからね。

私も、それは確かにその通りだと思います。歴史があるから残すのではなく、歴史を持つほどに重要なものだから残すのであって、時間の長さという数字にこだわる必要はないはずです。さらにこの伝統に関しては、そもそもきっかけとしては意味を持たないことが明らかなのですから。

それじゃあ、意味を持たないものだからさっさとなくしてしまえ、となるかというと、私は違うと思います。きっかけはただのノリで、途中から義務感みたいなもので続けられたわけですが、今では文化祭を成功させた喜びの共有だとか、そういう機能を持っているわけです。だから、これはこれで大事なものだと思うんですよね。

他のことに関しても同じことが言えると思います。物事の存在義についてその起源を考えることがたまにありますが、今現在の存在意義とそれの起源はそれほど関係がないと思います。例えば、自分が生まれたのは親がたまたま、ということかもしれないけども、それは自分の存在意義とは全く関係がない。一般化し過ぎか(笑)