コミュニケーションが苦手なのはなぜよくないのか

コミュニケーションが必要な理由

これは非常に単純なことで、人間は社会を前提とする生きものだからです。

人間が生きるために最低限必要なものは衣食住だと言われています。着るもの、食べるもの、住むところですね。そして、これら3つを全部ひとりで獲得、維持、向上できればよいのですが、それは不可能です。(もちろん現代では衣食住以外にも娯楽などもあります)

極端な例ですが、植物などから繊維を集めて糸を作り、そしてそれを編んで服にする。植物を育てたり、動物を狩りしたりして食材を集め、さらにそれを調理する。設計図を作って木材を集め、それを適切に切って組み立てる。というようなことをしなければならないのですが、ひとりで全部行うのは無理ですよね。

というわけで、必然的に分業しなければなりません。私はこれをするので、あなたはこれをしてくださいね、というような感じです。多くの人がこのような役割を持つことによって、社会に属する人は生活が行えるようになります。

当然ながら分業というのは複数人で行います。また自分の役割だけを果たしていても生活はできません。自分が生み出した価値を誰かに提供し、誰かから別の価値を受け取る必要があります。ここに他人とのやり取りが生まれます。これがコミュニケーションです。

コミュニケーションが取れない人というのは、自然界で例えるならば、足を骨折してしまった動物のようなものです。足を骨折し、動けない。動けないならエサを得ることはできないので、あとは餓死するだけです。

だから人間にとってコミュニケーションが取れないことは死活問題になります。コミュ障は死に至る病だ、といわれることが稀にありますが、あながち間違いではないかもしれませんね。

そのため社会から排除されてしまうのは非常に危険な状態だと言えます。だから多少無理をしてでも大多数の考え方には合わせる必要があります。

社会(大多数)の基準から外れるのは危険

大多数を社会の基準と考えましょう。この基準から逸脱すると、社会から排除されやすくなります。これは基準の下に位置してしまうことはもちろんのこと、基準の上を行く場合にも同じことが言えます。

例えば、ホームレスのような人を見ると大多数の人は「うわぁ…」というような反応をする人が比較的多いです(一概には言えませんが)。そのため、ホームレスの人から声をかけられると、とりあえず「すみません」と軽く会釈してそのまま通り過ぎます。

逆に、大金持ちのような人でも大多数の人は排除したがります。早い話が嫉妬です。農家が大多数を占める村があるとしましょう。この村において一部の農家が大成功してしまえば、他の農家が成功した農家に対し除草剤をまくなどのいじめをする可能性があります。

このように大多数が社会の基準になっており、いい意味であれ悪い意味であれ、この基準から外れると社会に居づらくなります。

大多数はムカつくこともあるけど重要

マイノリティにとってマジョリティは時として憎い存在にもなります。さぞムカつくことでしょう。しかし生きていくためには分業が必要ですし、社会に属する必要があります。つまりマジョリティにも合わせる必要があります。

それをしたくないのであれば、全部1人で行うことです。社会に属したくないのであればそうせざるを得ません。畑を持つなりなんなり、する必要があるでしょう。

コミュニケーションというのは、成長すれば勝手に身に付くものではなく、勉強や筋トレと同じように自ら獲得するものです。

いろいろな原因はあるでしょうけども、コミュニケーションが苦手だからといってマジョリティをバカにし、自分をマイノリティに仕立て上げ、自分に価値を見出そうとすることにはやはり無理があるでしょう。

どれだけマジョリティを嫌っていても、社会に属している以上はマジョリティに頼って生活をしているのですから、それに対して自分も何らかの働きを行っていく必要があります。

もしマジョリティの中にいつつも自由に動きたい場合は名誉が役に立ちます。つまり「あの人は何を考えているのか分からないけど、スゴイ人だから別にいいんだよ」みたいなことをマジョリティに思わせることです。こうすることで、マジョリティの中にいても比較的自由に生活することができます。引きこもりの中には小説家や学者を目指す人が多くいますが、まさにそれです。

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