塵も積もれば山となるのか

本当にくだらないことなのですが…。

塵は塵なのでは?

塵は塵なんだから積もってもゴミでしょう、と思ってしまいます。砂金も積もれば金の延べ棒に、とかなら良い感じに思えるんですが。

いやもちろんこの意味が間違っているのは知っています。「塵も積もれば山となる」をGoogleで検索するとトップにカードが出てきたんですが、故事ことわざ辞典からの引用です。

「塵」を「つまらないもの」の意味で用いるのは誤り。 「塵も積もりて」を「ごみも積もりて」というのは誤り。

本来の意味は、小さいものでも積もり積もれば大きなものとなる、という感じです。一般的には努力とかに結び付けて良い意味で使われますね。まあ「本来の意味」とか言い出したら大智度論では悪い意味で使われているようですが、屁理屈になるのでやめておきましょう。

しかし、小さな努力の積み重ねといっても、その塵の質は考えたいところですよね。ただ数をこなしてひたすらに努力をしていればよい、という発想はちょっと安易だと思うんです。

脳科学者の中野信子さんが「無駄な努力をするな」と言っていたと思うんですが、なかなか面白いたとえを使っていらっしゃいました。月に行きたいという目標があったとして、地球から月までの距離と同じ距離を走る、っていう。

そんな努力したところで月に行けるわけではありません。月に行きたいなら宇宙に関する勉強をして、無重力に長期間耐えられる体を作るための特殊な訓練をして、ということをしなければなりません。

確かに毎日少しずつでも走っていれば、いずれは地球と月の距離と同じ距離を走ることができるだろうと思います。数字は大きくなっているので「山」なんでしょうけども、ただの山ですよね。

小さな積み重ねというのはバカにできないと思います。重要なことでしょう。ただ、塵だと思っていたものがゴミだった、というようにならないように、最初に塵が本当に塵なのかという確認は大切なのではないか、という気がします。

さいごに

全く関係ないんですが、ことわざ(?)というか決まり文句みたいな感じで、「私は聖人君子じゃない」みたいな表現があると思います。

例えば、仕事で何かを依頼したときとかに、「いや、俺は聖人君子じゃないからできないね」みたいなやつです。

お前、本当の聖人君子知らねぇだろ、って思いますね。すみません、余計なことを言いました。