個人ブログにできることって何だろう

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この記事は、私が「個人ブログにできることって何かな?」と考える記事であって、「個人ブログにできることは○○である」という答えを出す記事ではありません。そういう意味でこの記事は中途半端です。

個人ブログに感じる問題意識のようなもの

ブログというサービスが生まれて、個人でも世の中に簡単に情報発信ができるようになりました。それ自体は良いことだと思うんですけども、同時に問題もあると思います。

信用がない

個人ブログはあくまでも個人が書いているものであって、公的機関や企業などと比べると、明らかに信用がありません。誰でも自由に、さらに匿名で発言することができます。どこの誰が書いているのかも分からない情報を、果たして信用することができるのか、と言えば、まあ無理でしょう。

中には、本名顔出しでブログを運営する方もいるのですが、それで信用が生まれるわけでもありません。顔写真付きの野菜でも産地偽装問題があったりもしましたが、ブログでもそんなのは簡単にできるわけで、たとえ本当に本人の本名顔出しであったとしても、閲覧者から確認のしようがありません。

もっと言えば、匿名ですらありません。というのは、匿名というのは本来は、本名を隠して別の名前を使うということですけれども、そもそも閲覧者が名前を見ているのか、という話です。名前が書いてあっても読まれていないのであれば、名前はないのと同じであって、極端な話、筆者は誰でもいい、ということになります。

正確とは言えない

信用がない、と同じようなことですが、個人ブログに書いてある情報が正確であるのかはなかなか判断が難しいところがあります。

正確性をいうならば、たとえ名前がなかったとしても、数字やロジックなど客観的なデータを示せば、それなりに正確なブログにはなるかもしれません。

ただそれだと、個人ブログである必要ってあるのかなぁ、と思ってしまいます。もし仮に正確なデータを示すことができるのであれば、たぶんですけども、ブログの筆者にとってそれほどメリットがないと思うんですね。

正確な情報を提示できるのであれば、極端な話ですけども、学会で発表したりとか、本にしたりとか、個人ではなくまともな組織から出すとか、そういうことをしている方が利益になると思うんです。

信用と正確性をどう補うか

他にも個人ブログの問題点っていっぱいあると思うんですけども、とりあえずは信用と正確性の2つは大きいんじゃないかなぁ、という気がしています。それではこの2つを個人ブログにおいてどのように確保するか、ということになります。

信用について

まず信用についてなのですが、個人的には一貫性しかないんじゃないかな、と感じています。実際のところ、ブログの閲覧者というのは検索エンジンから来ることが多いと思うんですが、その閲覧者がブログの筆者を確認することって珍しいと思うです。実際見てます?

私もこのブログには一応プロフィールページはあるんですが(情報は少ないのであってないようなものですけど)、アクセス解析のデータを見る限りでは、ほとんど見られてないです。

やっぱり、誰が書いているかよりも、何が書かれているか、の方が閲覧者には興味関心があると思います(まあ、これはこれで良いことだとも思うんですが)。

では、誰という名前関係なく、信用してもらえるブログにするならば、書いている内容に頼らざるを得ないと思いますし、だったら過去の蓄積の中での一貫性だろうと、そんな気がしています。

(ブログの内容よりもデザインの方が重視されることもあるかもしれませんねぇ…)

正確性について

データを示せばある程度は正確なブログにはなるだろうと思うのですが、やっぱり個人ブログですし、自由に書きたいですよね。そうなるとデータというのはちょっと違うかな、という感じがします。

私が思うに、正確性は捨ててもいいんじゃないかな、と思っています。つまり客観ではなく主観を意識するっていう。例えば商品レビュー記事なんか分かりやすいと思います。これは商品を使って、自分がそれに対してどう感じたのかを率直に書けばいいわけです。その際は「私にとっては、この点がこういう理由で良かった。逆に、私にとっては、この点がこういう理由で良くなかった。」みたいな感じです。また先ほど書いた一貫性があれば、立場が明確になって「私にとっては」というのがより価値を持つようにもなるはずです。

また、「個人の体験」というべきでしょうか。個人の体験というのは他の人には絶対書くことができませんから、非常に参考になるはずです。例えば、DeNAの南場さんは、旦那さんが病気になった時の情報源は論文・専門家・個人ブログとおっしゃってました。ここでいう個人ブログというのは、実際に同じ病気にかかっている人がどのような生活をしているのか、というのを見るためです。これは私も意識していて、この記事「歯列矯正から顎変形症手術までの流れをダーッとまとめるよ」のような入院に関する記事は割と力を入れて書きました。これは私にしか書けない記事だと自負しています。

こんな感じで主観、感想、個人の体験を第一にすれば、正確性はなくても参考になりうるように思います。もちろん間違った情報を流してもいい、というわけではないですけどもね。

一貫性の問題点

しかし、一貫性を持たせると問題が起きることは容易に想像することができます。つまり一貫性があることを示すには、閲覧者に過去記事を読んでもらうことを想定することになります。果たしてそれができるのか、ということになるのですが。

まあ無理ですよね。検索エンジンで出てきたリンクをクリックしてブログに来るわけですが、そこに表示されている情報は極めて断片的であって。情報の文脈を意識している人間なんかごく僅かでしょうし、意識している人間でも個人ブログ相手にそれを実行するかというとしないでしょう。

もっと言えば、閲覧者が求めている情報というのは、正しい情報というよりも自分にとって都合のいい情報でしょうから、1つの記事であっても更にそこから1部だけを切り取る、というような読まれ方もあると思います。

結局、過去記事の文脈に関係なく(場合によっては記事内においても)、記事に書かれていることをその記事内だけで完結させ、断片的に解釈されてしまうわけですが、そうなると、全くの的外れな非難コメントが来たりとか、そういう感じになってしまうわけです。

(とはいってもそういう状況で情報が発信されているわけですが、閲覧者はどこで価値判断するかというと、「いいね」の数です。つまり、多くの人が「いいね」をしているからこの情報は良い、となります。はてなでははてなブックマークでしょうか。何でもいいですけど、良い悪いは自分にしか分からないんですけどね…)

とまあ、こんな感じです。たとえブログの筆者がどんなに頑張っても、閲覧者によってはクソみたいなブログになりうる可能性がある、のかもしれません。必ずしも閲覧者のせいではありませんけども、でも筆者にはどうしようもできない部分があるように思います。筆者が手を抜いていい、というわけでもないですけども。

閲覧者がちゃんとブログを読んでいないというのはよく言われることです。ちょうどこの記事を書いている最中にはてなブックマークに上がっていたのですが「読者はブログを読んでいないというのは本当だった - なっちゃんだって生きている」この記事を拝見しました。8割は読まれておらず、2割しか読まれていないということですが、その2割の内の8割くらいは誤った解釈をされているかもしれません。もし仮に1つの記事で綺麗に簡潔したとしても、文章である以上、ある一定の予備知識は必要になるのであり、それを持っていない人に対しては、ブログの筆者はどうすることもできません。

最後に

私は個人ブログを否定しているわけではありません。また個人ブログの在り方は自由なのだろうとも思っています。閲覧者には役に立たないけれども筆者にとっては意味のあるブログというのもあるでしょう。匿名で言いたいことを公にすることには、ある程度の良い効果があると思いますし。

しかし、個人ブログの在り方について考えることは、まあ大切なことなのかな、と感じています。

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