nancolu

一般人の個人ブログです

ものすごく当たり前のことに気付いてしまった

当たり前のこと

全然面白くも何ともないんですけども、当たり前のことに気付きました。今まで何かと「生きたくない」と書いてきたんですけども(「生きたくない」の意味合いが違うのでは… 1か月仕事を休んでみて思ったこと子供を持ちたくない理由・結婚したくない理由・恋愛したくない理由などなど)、生きているんだから仕方がないよね、っていう。

私は死にたいわけではないので自殺は考えていないんですが、できる限り苦しむ機会を最小限にしたいと考えてきたわけです。だから会社やめて独立して~、というようなことにもなっているんですけど(出版社勤務・新聞記者・テレビ記者の人たちと話した感想とか)。

でもこれって自分をかなり抑圧しているようで、自然じゃないですよね。人間なんか欲求を持っているのが当たり前ですし、自分の利益を追求するのは当然のことだと思います。まあ生きている以上は死ぬのは避けられないことです。いつか死ぬでしょう。いつなのかはわかりませんけども。

でもそれを思ったら、どうせだったら欲求を満たしたいな、というのがあります。アリよりもキリギリスの方が自然ではないでしょうか。キリギリスがダメだったのは欲求に忠実だったからではなくて、問題をないことにしたことです。

重要なのは、今抱えている問題や今後起こりうる問題をどのように解決していくのか、なのであって「苦しいのはヤダ~」とか言ってても何にもなりません。むしろ苦悩を解決する中において生への根本的な欲求が生まれてくるような気もします(だからといって無理に苦悩を求めるのはどうかと思いますが)。

また問題というのは、必ずしも自分一人で解決できるとは限りませんし、個人的なもの以外にも社会的なものもあります。そういう意味ではアリのように社会性を持つことも重要だと思います。みんなで問題を解決する、というような。一人では限界がありますから、私はこれを社会に提供するし、あなたはこれを提供して、それからあなたは…みたいに役割分担をして。

そして、自分の欲求を満たす、つまり利己主義でありながらも(欲求に忠実なだけの生活は堕落しているとは思いますが)社会的であるのは可能なのかが気になるところですが、私はできるんじゃないかな、と思います。やっぱり他人が苦しんでいる姿を見るのはイヤです。できることならば、みんなハッピーの方が良いでしょう。他人が嬉しそうにしていると私も嬉しい、だから他人のために問題解決に取り組む、というのは一見利他的ですけども、自分が嬉しくなるために他人を助けるのですから利己的です。

というようなことを思いました。

他人に「現実見てないんじゃないの?」とか言っている割には(現実を生きていない人など)、私が現実を見れていないですね。いや見てはいるけども、見ているだけであって、あわよくばなかったことにできるのではないかと思っているのがダメでした。

いやまあ、今書いたことも何か理想的な、変な臭いがしないでもないですけども、でも欲求を持っているというのも現実であって、これも無視はできないのではないかという気がします。

追記

読み返してみると、ん、自由主義??抑圧を避けるんだったら、自由主義は長い目で見れば功利主義的になってしまうからダメでは…。どうせ死ぬのに何で生きるのだろう、ではなくて、どうせ死ぬんだからやりたいことをやろう、みたいに生を肯定したいけども、どこまでやっていいのかが分からんのですよね。いや法を超えたらイカンのは当然なんですけども、じゃあよい法と悪い法はあるのかとか、その基準とか、色々気になることがあります。今更こんなこと言ってたらダメか(笑)ちゃんと勉強しないとね。