nancolu

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「あの世なんか存在するわけないじゃんw」

昨日書いた正しい価値観と間違った価値観 - nancoluの続きみたいな記事です。

あの世はある?ない?

最近は少なくなってきたような気がしないでもないのですが、でもネット上では「これだけ科学が発達してるのに、あの世なんかを信じてるのっておかしいよね」というような意見をちょこちょこ見ることができます。

結論から言うと主観と客観がごちゃごちゃになっているだけです。「あの世は存在しない」というのを客観的に言うことは無理です。まともな科学者であれば科学の有限性を理解しているでしょうから、こういうことは言わないでしょう。

しかし「君はそういうけども、それは主観と客観を混同してるだけだよ」と言っても彼らは主観と客観の違いを知らないので理解できないだろうと思います。

例えを出すならば、まあ例えになってるか微妙ですけども、恋愛とかわかりやすいのではないでしょうか。相手が自分のことを好きであるのかを客観的に証明するのは無理でしょう。2人が隣り合って座っていても、客観的に見れば2人が何を考えているのかわかりませんし、しょせん物理的な距離の問題です。だから感受性なんですよ。「あの人は自分のことを愛してくれている」と信じるわけですが、これは主観であって、またこれは悪いことなのではなく、それでいいのです。

でも残念なことに本当にこういうのを理解できない人もいて、恋愛に客観を持ち込む人も少なくありません。この前ネットで話題になっていたと思うのですが、男性が女医(だったかな?)に50万円のものをプレゼントしたそうです。男性の方は「50万も」といっているのですが、相手が何を喜ぶのかが分からないために値段という客観的な数字を頼りにしたわけです(結果的に女医にとっては50万は安すぎたようですけども)。

また恋愛の在り方(これはなかなか難しいことではあるのですが)もおかしなことになっている人もいて、承認欲求のために恋愛が使われています。昨日も書いたように、自分に自信がないけども、その自信のない自分を承認して欲しいという願望があります。なので好きだから付きあうのではなく、自分に自信を持つために付き合うというような感じです。なので相手は誰でもよく、場合によっては何人と付き合ったという数字が自慢されることもあります。ただ誰でもいいと言っても「外人」とか「金持ち」といった記号を好む傾向はあって、それも要は世間的(客観的)に評価のある人から愛されている「私」ということです。

自信がないなら自信を持てるように成長すればいいのですが、現実が持つ無限の複雑さには耐えられないために、ダメな自分のままでいたく(「ありのままの自分」と表現されることが多いです)、またそれを実現するには恋愛が手っ取りばやいわけです。

「昔の人なのにスゴイ」

なんか全然関係のない話になってきているような気がするのですが、もうついでなので更にもひとつ関係のない話をしたいと思います。

どうも宗教は古くて科学は新しい、そして新しい科学の方が優れている、という感覚があるようです。その割には、初詣に行って、バレンタインにイチャイチャして、夏は実家に帰って盆踊りとか墓参りとかして、ハロウィンに騒いで、クリスマスにイチャイチャして、恋愛に困ったら占いして、結婚式は教会で、とよくわからないことになっているのですが、宗教はダメで科学はすごいそうです。そして昔の人のエピソードを聞いて「昔の人なのにスゴイ」とか言います。

まあ科学が現代社会を支えているのは言うまでもないことです。だからといって現代人が昔の人よりも優れているわけではありません。「昔の人はやっぱりスゴイな」と思うことはあっても「なのに」とは普通はならないでしょう。こういう表現が出てきたのはここ最近のことです。

スマホとかで色々なことができますが、こうすればこうなるということが分かっていてもその過程で何が行われているのかは全然知らないわけで。しかもスマホでやってることはビッグデータから提案されたことに従ってるだけでしょう、自分で考えてるわけじゃありません。そういう意味では昔の人の方がはるかに頭脳は優れていたと思います。

ちょっと変な書き方になりましたが、主観と客観がごちゃごちゃになると傲慢性が高くなるようです(反対に、傲慢性が高いから主観と客観がぐちゃぐちゃになるのかもししれませんが)。

自分に自信がないのに傲慢であるのは矛盾しているようにも思えますが、おそらくそれは見る視点が違うだけで、基本的には同じことなのでしょう。一言で言ってしまえば、自分がないのです。