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「40代男たち無能すぎ問題」の私の理解

40代男たち無能すぎ問題

面白いな~と思ったので簡単に書いてみたいと思います。ちなみに私は今20代なのですが、上の世代が嫌いなので私の意見はかなり偏っていると思います。

私の理解

彼らにとって、主体的とは自らの意思で行動できるスゴイことであり、主観的というのは自分勝手な考え方です。また客観的というのは自分以外の多くの人も同じように考えていることです。

主体的>主観的という価値判断があるようなのですが、この違いというのは非常に曖昧で、考えている本人よりも他人の態度の方に価値があるように思われます。また、客観的>主観的という価値判断もあるようで、ならば100人の素人と1人の専門家の意見はどちらが正しいのでしょうか。B層マーケティングが成功してくだらない商品が溢れているのはどういうことなのでしょうか。どうも彼らの主観、主体、客観に対する考え方がおかしいように思えてきます。

客観は現実のことです。また100%客観的な情報というのはありません。例えば新聞は偏っていて役に立たないと言われたりすることがありますけども、それは当然のことで、そもそも何をニュースとして取り上げるかという時点で主観が入り込んでおり、偏っています。だからこそ客観を理解している普通の人は複数の新聞を読んで客観的であろうとします。つまり客観的というのは態度の問題です。

人間の認識には限界があり、現実全部を一度に把握することは不可能です。なので視点を変えて部分的な理解を積み重ねていくしかできません。そしてこの視点を変えるというのは主観的な考え方であり、より具体的に言うならば疑問を持つということです。主観がなければ客観的に考えることもできません。

彼らは主観的に考えることを悪だと思っており、また主観と主体を別物としても捉えています。しかし実際には主観と主体は同じものであり、客観というのも主観/体との対比でしかありえないものです。

彼らは視点を動かして考えることを知らないために疑問が起こらず、提案を受けてもそれについて考えられないので答えを導き出すことができません。また下ごしらえの時も、考えることができないために動くことができません。

そして肉は旨いものであると多くの人は考えているために肉だけを食べ、また知識というある程度多くの人に認められている事柄であることについては自信満々に語り出すことができます。

この年代の人たちは自分で価値判断を下すことができません。周りが旨いと言っているから旨い、周りが正しいと言っているから正しい、金額が高いからスゴイ、というように自分ではなく外部の評価を自分の価値判断として用いており、またそれを客観的だとも認識しています。

私はこの、40代から60代前半の世代は歪んでいるように見えてしまいます(怒られそうですけど)。

最近キラキラネームとかが問題になっていますけども、固有名詞に意味を与え出したのはこの世代です。キラキラネームの人を変な目で見る風潮がありますが、キラキラネームを付けたのはその親であり、この世代ですからね。

またゆとり教育が失敗したことで我々20代がバカにされているんですけども、ゆとり教育の理念そのものがおかしかったのではなくて、ゆとり教育の本質を理解していなかった親の、まさにこの世代の失敗ですよ。ゆとり教育ではいわゆるバカを量産しましたが同時にごく僅かではありますが優秀な人も出ました。ゆとり教育を理解していた親はきちんとゆとり教育を有効に活用できたのであって。

小泉政権の圧勝に関しても、投票をした大部分はこの世代でしょう。この世代から大衆性の高い人たちが増加しているように思えてなりません。もちろん大量に出たということはそこに構造的な問題があったのでしょうし、そういう意味ではさらに上の世代に問題があったのかもしれませんけども、それを言い出したらキリがないですしね。

昔は「自己批判」というのが良くも悪くも流行りましたけども、40代~60代前半の世代は多少は自己批判があっても良いんじゃないかと思えてきます。