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「17時帰宅はおかしい」という意見もわからないではない



全文表示 | 「17時に帰宅」若い教師へ苦言...に「違和感」 新聞投書&「ブラック」回答が物議 : J-CASTニュース

17時帰宅して何が悪い、ていうかそのための働き方改革だろ!という批判が多いようです。私も最初はその考えだったんですが、でもよくよく考えてみると、17時帰宅するのはおかしいという投書も分からないでもないという気がしてきました。(ちなみに私は26歳です)

家族という発想

学校の話なのにいきなり会社の例を持ち出すのもどうかと思いますが、会社ってある種の家族なんですよね。高野山に行けば会社の墓をいくつも見つけることができますが、社員が死んだら会社の墓に入れるということを、(今はしませんが)以前はそういうことをしていたわけです。会社に属する人の結びつきがそれだけ強かったことがよく分かります。実際の家族ではないにしても、それほどの関係性があるのであれば、他の社員が困っているときには助けてあげようみたいな考え方が出ても不思議ではありません。

例えば、自分の本当の家族の内の誰かが借金抱えてしまったら、自分の借金ではないにしても何とかしようと考えると思うんですよね(法的なことを言えばアレだけど)。介護が必要になったら、できる限りは何とかしてあげたいと思うじゃないですか。そういう感覚が職場にもあると思うんです。つまり、他の人が働いているから手伝おう、というような。

ルールを守れば何でもいいのか

今回の投書に批判的な人は、ル―ルを重視する傾向があるのかなぁという気がします。17時の契約なんだから17時に帰って何が悪い、ということではないでしょうか?

これって法律と倫理の関係に似ているように思います。例えば、情報商材ってありますよね。原価なんかほとんどかかってないのに、数十万円したりするわけです。中には本当にヤバいのもありますが、情報商材は必ずしも違法ではありません。しかし、違法でないにしても「本当にこれをやっていいのかな?」っていう感覚があります。これが倫理と呼ばれるものです。

17時までの契約であれば、確かに17時に帰ってしまっても契約違反ではないので、やっても許されるものです。しかし「本当にこのまま帰っていいのかな?」という感覚はあってもいいんじゃないかと思わないでもないです。

本当はこういう感覚は強要するものではありません。しかしそういう感覚があまりにもない人に対して、今回の投書のように言いたくなるのも分からないではないです。また投書の原文では、投稿者が17時に帰る教師に対して直接的に注意をしたかどうかまでは書いていません。実際に注意せず、投書で吐露したのであれば、その対応は割と大人びているようにも思います。

さいごに

前にあった関係性というのが、今では重視されなくなってきているように思います。昔は集団的で、今は個人的、という感じでしょうか。確かにこれは時代や世代の違いでもあるでしょう。でも一言だけで片づけるのは、どこか大切なものをそぎ落としてしまっているように思います。個人主義と言われるかもしれませんが、単に関係性を失って孤立しているだけではないでしょうか。「絆」とか「繋がり」といったものを主張しなければならない程度には孤独であるように思います。

しかし、学校では8割近くの人が過労死レベルの仕事をしていると聞いたことがありますし、その中で17時に帰宅できるのは才能です。素晴らしい仕事をしているのだろうと想像します。これはすごいことです。どうせならその教師から仕事の方法を聞き出して、職場でシェアすればいいのではないでしょうか。なんにせよ長時間労働は問題ですから、その解決につながるようなものがあれば、どんどん試した方がいいと思います。